JE6QJV 牧野さんの思い出3

10mFM

手元に『10m FM International Convention TOKYO・JAPAN』(発行者:10mFM東京大会実行委員会)という分厚い冊子がある。JG1DKJ澤田さんがエディターとして書かれていたCQ誌の「10mFMコーナー」を主に、発行された1991年当時までのいろんな記事を集めたものだ。

この冊子には、全国の10mFMグループが紹介されているのであるが、我ら牧野さんのグループは掲載されていない。たまたまなのかもしれないが、かつて牧野さんがこんなことを言っていた。
「規約や会費がきちんとある会もいいけれど、時が経つとどうしても特定のメンバーのものになってしまう。私はそのような特定された会よりも、誰でもいつでも自由に参加できるような、ゆるやかなグループが好きだ」

私は、平成4年、熊本でのサラリーマン生活に区切りを付け、新たな仕事のため伊勢市に1年、その後東京都保谷市(現西東京市)に住むことになった。近くには、JG1DKJ澤田さんの仕事場がある。誘われてPRN(パシフィックレピーターネットワーク)の会合に出席したことがある。原っぱ(秋葉原)のいつもの喫茶店でしたっけ。古炉奈(コロナ)という店名だったような。
何せ、10mFMマンでJE6QJV局を知らない人はいない。そのお陰で知らない東京でも牧野さんつながりで知り合うことができる。ただ、仕事の関係上、土日が休めないのでなかなかイベント事には参加できなかった。

東京で5年ほど過ごし、久留米に帰郷。アパート住まいだったので、アンテナ上げて、というわけにはいかなかったが、車にはしっかり無線機。TM-742シリーズに10mFMユニットを付けていた。ただ、何かと忙しく、それほど無線には、あ、いや、仕事先(標高280mの山の中)の事務所にアンテナ建てて、CQCQやってたか。

当時流行っていたのは、エコーリンクにナビトラ、APRS。熊本県荒尾市を会場に行われ始めた西日本ハムフェアーに「オール九州ネット」というグループ名で出展しているから手伝ってよ、と牧野さんから。オール九州ネットはその名の通り、九州ほぼ全域をカバーしたVoIPのネットワークで、世界中のエコーリンクグループの中で最大級の接続局を誇っていた。

オール九州のメンバー 西日本ハムフェア終了後の記念写真。中央が牧野さん。私は欠席だった。
デジピーター設置のため、みんなで遠方まで出かけることも。

西日本ハムフェアでは、ブームになりつつあったライセンスフリー無線を展示させていただいた。アマチュア無線のフェアなのに大丈夫かなと思ったが、これも牧野さん、「どんどんやったらいいよ」

牧野さんの考え方。例えば違法CB無線あがりのあの口調が抜けない局がいる。例えば、APRSを始めたばっかりで、ビーコンを頻繁に出し過ぎている局がいる。でも、はじめから毛嫌いするのではなく、法令違反でない限りある程度やらせておいていい(誰だってそんな時期があった)、同じ無線が好きな仲間として、そのうち懇切丁寧に教えてあげるのが大事と。確かに、牧野さんはいろんな多く方に、何度も何度も繰り返し説明していた。短気な私にはできないなと思ったことがある。

そういえば、上の写真に写っている次男坊が小4の時だったか、4アマ受けるのに、私が仕事で会場まで送迎できず、代わりに牧野さんが送迎してくれた。試験が終わってあの時食べたお好み焼きの話は、今でも息子と思い出したように話をする。もう、大学生になりましたよ。

西日本ハムフェアは、長洲から苅田町に会場が移った。
新会場でも、オール九州ネットのブースは賑やかでした。

何と、牧野さんが写っていない。そう、写しているのが牧野さん。これは準備中に撮影してくれたもののようだ。

近年は、土曜日になるとJH6BVA増田さん、JF6OFF大部さんと3人でランチから移動運用というパターン。私も時間がとれれば参加させていただいていた。お三方、何か良いトリオだった。増田さんは東京に引っ越してしまいましたよ。これからは大部さんと頑張って遊びたいと思います。

思いつくままキーボードを叩いたが、無線のことだけではなく、私自身、人生の分岐点でも相談に乗ってくれていた。サラリーマンを辞めて、今の仕事に就くとき。結婚の時。職場を移るとき。基本的には私の思いを支えてくれたのであるが、今、本当にこのように幸せでいられるのも牧野さんのお陰だと思っている。

「そんなことないよ、私はなーんにもしてないよ」って言ってそう。

昨日は、一周忌。午後からでしたが、我が家の奥様とお墓にお参りさせていただきました。雨でした。そちらに伺うのはまだずっと先になるかと思いますが、タワーとアンテナ準備してて下さい。LTRと上げたいと思います。(でもボクらも、もう歳ですね)

乾杯!

コメント

  1. 惠谷 英之(ふくおかMH51/JF6NUI) より:

    eQSOのデジコミの大宰府ゲートウェイを設置されていました。福智山山頂からアクセスし、動作確認の際、お話いただきました。「自分は山はもう無理」とおっしゃっていたのを思い出します。eQSOでも何度か交信いただき、昔、QRPでの海外交信記録をお持ちであるなどと興味深いお話を聞かせていただきました。お話いただいたのはつい先日のようで本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

    • nx47 より:

      お体が悪いのに、屋根やタワーに登られていたので心配していました。
      最後は、家族に迷惑掛けないようにと、タワーから無線機からほとんど片付けられました。
      その無線機のメモリーカードに、OMのCQが録音されていて、いつも聞いていたあの声、感慨深いです。

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