JE6QJV 牧野さんの思い出2

10mFM

【移動通信実験】

第5回全国移動通信実験。何と当日は台風のような風と雨。レインコートも破れながら、何とか設置できたのがもうずいぶん遅い時間だったように思う。確か私のひとつ下で大学生のJG6LTR野瀬君と頑張った。JF6RBB井上さんが作ってくれたホルモン焼きをほおばりながら、「俺ら九州電力の工事人みたいだね」って、笑って話していた。

当時のログが出てきた。OPはJE6QJV、JF6RBB、JG6DMH、JG6LTR。2日目10時頃には「国内Esオープン」の文字があり、ログはそこで終了している。


CQ誌に私の投稿が記載されていた。

とにかく今回は台風のため大変でした。移動目的地到着1700。タワー(約5m)2本と5/8λGPだけ上がったのが2000過ぎ、しかし風が弱まらず、0000に5エレ・ワイドスペース八木(水平)だけなんとか上げようと始め、0200過ぎやっと完成。しかし全員バテてしまい、2局と交信したのみ。0600、再びQRV。0626兵庫県六甲山移動のJA3BCP吉田さんと交信に成功。RS54-53のレポート交換。アンテナはお互い水平系でした。0739JH3ARI/兵庫県赤穂とRS41-41で交信、前回よりずいぶん距離が延びました。4エレスタックが、強風のため上げられなかったのは残念でした。

CQ ham radio 1986年1月号 P404
CQ ham radio 1986年1月号 P227

この時の最遠距離が我々JE6QJVグループと、このJA3BCPグループとの455kmだった。

翌1986年9月6~7日の第6回10mFM全国移動通信実験には、全国各地56カ所からの移動運用が行われて、我々も再び鷹取山に移動した。アンテナは7エレ八木。東海10mFM愛好会の岐阜県土岐市三国山との交信ができている。その距離632km。しかし第1位は、大分と佐渡島で820km越え。当日はEスポが大オープンしてしまい、グランドウェーブとの判別が難しかったうえに、参加局の増加で大混乱したようだ。
そのためか、翌年からはグランドウェーブの伝搬実験が目的ではなく、名称も「全国一斉サービスデー」と改められた。
私は、仕事が忙しくなったのか、無線を少しお休みしていたのか、この頃から牧野さんとも少し疎遠になっていく。JE6QJVグループもサービスデーとなってからは参加しなかったのか、参加者リストには無い。

写真があったはずだが、見あたらず、当時のCQ誌。撤去直前の記念写真だと思う。

【DX1SAレピーター】

当時は10mFMが大変な人気となっていた。まだ国内には今のようなレピーターが無い時代、有志によりなんとフィリッピンに10mFMのレピーターが設置されていた。コールサインはDX1SA、受信所送信所のアンテナはいずれも日本向け八木で、事実上JA専用レピーターであった。フィリピンからの強力な信号はハンディー機でもアクセスできるほど。Eスポで開けない時期は、DX1SA経由すれば日本全国と交信ができた。
設置後はメンテナンスも必要。福岡グループもフィリッピンに出掛けて行った。その時にはDX1QJVというコールサインでサービスが行われた。私も交信できた・・・かどうかは、残念ながら記憶にない。
レピーターを設置してくれた久留米出身のDU1GFジョージ・フランシスコさんには、久留米ということでちょくちょく声を掛けていただいた。(ジョージさんについては週刊BEACON
牧野氏ほか全国の10mFMパイオニアにより、国内にも10mFMレピーター設置許可の要望書が出され、めでたくその後、国内(当時は、小笠原、沖縄、北海道)に開設されたが、その管理も大変であろう、いずれも閉局したのは残念ではある。(現在は、兵庫県伊丹市のJP3YHYのみ運用)

DX1SAレピーターシステムについて解説する牧野さん

【29MHzFMハンドブックでリモートベース】


思いつくままなので、時系列になっていないのはご容赦ください。
牧野さんが監修した『29MHzFMハンドブック』が出版される。前のハンドブックが出てそんなに経っておらず、今思うに、何か大人の事情とかあったのかなと勘ぐってしまうが、それこそ下衆の勘繰りなのかもしれない。牧野さん監修のこのハンドブックは『29MHzFMハンドブック2』として最近ネットにアップさせていただいた。
hamlife.jp <“29FM”のバイブル的存在>DX1SAグループ編/JE6QJV監修「29MHzFMハンドブック2」の無料ダウンロード(116ページ/PDF版)開始

全国大会では、DX通信について牧野さんの講演がたびたび行われていたようだ。

このハンドブックで特に興味を持ったのが、JH3GCN弓削さんの「リピータコントロール DTMF回路について」「29MHzFM リモートベース」である。なぜかレピーターやリモートベースというものに強い憧れを持ってしまった。Wから聞こえてくるDTMFや電子音、まだ我が国ではイリーガルとされることが憧れを増幅させたのかもしれない。
このハンドブックとCQ出版のHAM journalを参考に、牧野さんからもいろいろアドバイスいただきながら、FM-10とTR-8300をひとつのケースに入れて、IC-03NにDTMFパーツを組み込み、430MHzからDTMFコントロールで29MHzにオンエアできるリモートベースを製作した。29FM九州大会では紹介の時間をいただくこともできた。勉強そっちのけで、前出の福岡電子パーツ久留米店に製作のため入りびたり、学生時代の大きな思い出である。

【スペシャライズドコミュニケーション】

10mFMマンは新しもの好きである。今やデジタル通信と言えばFT8だが、当時人気出たのはパケット通信。AEA社のPK-80というTNCを手に入れ、あーでもない、こーでもないと楽しく苦労した。今やAPRSにピーギャーが残るだけになってしまったが、もともとはパソコン通信の無線版ともいうべき、あちこちにRBBS(Radio Bulletin Board System ラジオ掲示板)が開設され、そこで情報などのやりとりをしていた。私もPC-9801UV2というパソコンを買って、当時出始めの3.5インチフロッピーディスク×2、片方はシステム、片方がデータという今では信じられないような極小容量でRBBSを運用していた。
そこに登場したのが、W0RLIという、開発された方のコールサインのソフトウエア。何とRBBSに書き込まれた記事が、他のRBBSに自動転送されるというものだった。このW0RLIは大ヒット、私もPCをDOS/Vマシーンに100MBのハードディスクにして運用した、確か。
大学を卒業し、熊本勤務になると、寮が高いビルだったのをいいことに2mの八木スタックを設置、筑後市のJR6EKMと転送できるようにセットした。JR6EKMは、横浜のJA1KSOと14MHzでリンクされていたように思う。
当然、牧野さんもパケット通信にどっぷりはまっていて、29MHzFMでネットワークを構築されていたのではないか。

そういえば、ミニファックスも流行った。簡単な改造でトランシーバーに接続でき、無線でのファックスができる。29MHzでもロールコールで寄せられた情報を手書きで流したような。この改造などの講習会やスペシャライズドコミュニケーション、デジタル通信関係のいわゆるミニハムフェア等を開催、それにも牧野さんの協力があってこその成功だったと思う。

CQ ham radio 1987年1月号

JE6QJV 牧野さんの思い出3

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