JE6QJV 牧野さんの思い出1

10mFM

来る令和4年5月13日はJE6QJV牧野さんの一周忌である。
サイレントキーとなられた昨年、すぐに牧野さんとの思い出をとキーボードを叩いていたが、何となく途中で「また改めよう」という気になった。一周忌前に、記録の意味も兼ねて投稿してみようと思う。

私は、小学校時代の『子供の科学』をきっかけに、ラジオキット製作、電子ブロック、BCL、CB無線という、我々世代に良くあるパターンを歩んできたひとりである。アマチュア無線もやりたくて仕方がなかったが、なかなか中学生、高校生の時にはいろんな点でハードルが高すぎて、電話級の資格を取得したのは大学生になってからだった。開局前から、福岡電子パーツ(のちのアプライド)久留米店に良く遊びに行っていて、そこでだと思うが『29MHzFMハンドブック』という冊子を手にし、29MHzFMというバンド、モードに興味を持ち、これは面白そうだ、開局したらぜひオンエアしたいとFMモードが付いているFT-102を購入した。毎月購読しているCQ誌には、牧野さんのDXレポート、DX局のQSLカードなどが紹介されている、近くにスゴイ人がいるなと感じていた。

1982年発行 『29MHz FM ハンドブック』発行人 JH0ROM山田英一氏 牧野氏の投稿は”28MHzの八木アンテナを29MHzへ調整するためのデータ”

1984年9月29日。「第4回 29MHz FM 全国移動伝搬通信実験」というのが行われていて、牧野さんのグループが今、脊振山に移動しているという。その当時の私には原付バイクしかなく、脊振山までは少々遠すぎる。ローカル局のJF6DGG坂田さんに話すると、車で一緒に連れて行ってくれることになった。

現場に到着すると、とんでもなくデカいアンテナが上がっていて、その横にフォルクスワーゲンビートル。その中には大人がぎゅうぎゅうに入って叫んでいる。なんだこりゃ。私はその時の印象が強く残っており、これが牧野さんとの初見だと思っている。が、実は本当はその以前にもお会いしていたかもしれない。ちなみにデカいアンテナというのは、垂直4エレスタックだったのであった。
ところで、その時のフォルクスワーゲンビートルだが、少し色あせているものの、リアの両サイドにはドイツWISI社のアンテナが付いていて、カッコいい。実は牧野さんの車だった。「いいなぁ」欲しそうにしていると、牧野さんが「譲ろうか」と言ってくれる。私の人生初の車となった。1974年製だったか、今でもどこかで走っているのかな。

後ろのバンパー部分から基台フック。ここに29MHzのアンテナを付けられていたのかも知れない。

久留米の自宅から、福岡市の大学までバイク、電車、バスで通っていたが、これから車で通学ができる。しかもその通学ルートは牧野さん宅の真横。帰宅途中、牧野さんと良くタイミングがあって誘われ、近くのロイヤルホストでコーヒーを何杯も飲みながらいろんな話をしていた。もちろんご自宅にもしょっちゅうお邪魔したものだ。太宰府の高台にそびえるタワーと7エレメントワイドスペース八木アンテナ、銅板で完全シールドされたシャック、チューンアップされたアツデンの受信専用トランシーバー、FT-980にシルバーイーグルのマイク。私にはまさしく羨望の的であり、10mFMのトップDXerたる所以だと思った。

おそらくJE6QJV局が最もアクティビティ高かった頃のアンテナ。

学生時代、開局してわずか2年ほどの期間だが、いろいろ楽しかった。
ひとつは、10mFM全国移動通信実験。翌1985年の第5回には、今のうきは市と八女市の境にある鷹取山からやろうということになった。ここは車を停められるところから山頂まで40~50mほど更に登る必要があるにもかかわらず、その山頂にタワー2本、4エレ八木スタック、4エレ八木シングルを設置することとなった。

JE6QJV 牧野さんの思い出2

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